Chunk 1 全天周

定めた2点を通る円は無限に存在し、だが3点目を定めると途端に一つに特定される。全体像とは第三者目線を持って初めて把握できるのかも知れない。殊更人間関係というものは厄介で、どこかに先入観を抱き物事を曲解しがちだ。当事者に至ってはその時見た光景や感情が、何らかの勘違いや誤認にならぬように俯瞰したものの見方をしなければならない。

こんな思考になったのは何時頃からだろう。グラス型デバイス越しには仮想空間の教室、そしてアバター姿の生徒たちに幾何学の授業をしながらそんなことを思っていた。グラデと略されるこのデバイスの左上に目をやると時刻は19:30を示していた。ホワイトボードを模したウィンドウには「円の中点Oを求めよ」、そしてその解とが書かれたPDFが開かれている。

「時空操作って出来ると思わない?」

授業終わりにそんな突拍子も無いことを聞いてくる生徒にただただ惚ける。この子ぐらいの頃に理系科目を専攻していた私としては、似たようなことを考えたこともあったものだ。タイムマシーンにタイムリープ、ワープホールに空間転移。そんな懐かしさも束の間、返答せねばと気持ちが焦りつい角の立つ言葉が口をついて出る。

「無理でしょうね。」

そんな表現にハッとした。当時の私自身に突き刺すような、叶わぬ夢や現実の無情さを啓示するような冷たい言葉。AIの反応精度は如何なものか、声紋の変化で私のアバターの表情に反映していないだろうか。気づかせないよう、平静を装いつつ拡げたデータの閉じ作業を始める。悟らせまいとする私の変化に全く気づかぬ様子の彼は、私の横顔に話しかける。

「そうかなぁ。例えば探し物って時間が経ってから見つかるじゃん。あれって何かしらのそういった装置を使って、誰かしらがその瞬間に俺から拝借してるとしか思えないんだよね。」

抽象的であれど、なるほど面白い考え方もあるものだと感心する。

「片付けた場所ってメモするほどのことじゃ無いしなぁ。けど客観的な形に残してた方が事実ってわかり易かったのかもしれないね。」

さっきの授業でそんな感覚を覚えたのだろうか。一介の教師に哲学を突きつけないで欲しいものだ。「片付けた場所は忘れないように」と当たり障りのない言葉をかけつつ、彼にログアウトを促す。このデジタルで作られた教室にもう他の生徒は一人もいない。

「だとすると母さんが怪しいな。なんで見つけられんだよ。絶対時空操作してるだろ。」

ブツブツ言いながら彼は退室していった。現に言った言わないって争いも、客観的なものを残せば大事には至らないのかもしれない。

「でもやっぱり、そんなもの無くたって他人を信用したいしされたいものじゃない……」

特に親しい仲とあっては尚更だ。話ってのは飛躍すれば限りない物だと分かりつつ、思考は止められる物でもない。私もこの仮想空間内の教壇をOFFる。グラデ越しに現れた現実世界は、見慣れた殺風景な部屋とテーブルのコーヒカップ、縁を伝う滴は白い平面に焦茶色の幾重もの弧を描いていた。

Chunk 2 虹も雑れば黒一色

2032年ともなると拡張現実と仮想現実の同期など当たり前で、双機能を内包した国産のアプリもリリースされ、総じてVRと呼ばれている。人とは他人の成果は待てないもので、当初その存在に懐疑的な意見も多かったデジタル庁も文科省と掛け合い、教育の多様化を実現していた。私の時代にあったなら、もちろんこの駆け込み寺を利用したに違いない。

レンズ内に確認できる数件の通知は、思考を切り替えるには十分だった。右フレームを2度叩くと新着順に表示される。プラットフォームの規約変更・ニュースメール・実仮兼用アパレルのトレンド紹介・・・内容はお知らせばかりのつまらない物ばかり。通知の中にリカからのメッセージもあった。宙に指を上げタップする。

06/06

18:52「Uzumeちゃんの配信、楽しみ〜。」

19:07「どっちのデザインがいいかな?」

どうやら彼女はアバター用の服装を悩んでいるようだ。今日は19:30まで仕事だと伝えていたはずだが、メッセージの連投など彼女らしい限りだ。あの生徒との会話で、普段は開けない机の引き出しに手が伸びる。まさか無くなってはいまいかと恐る恐る取手を引くと、懐かしさを覚える当時は最新モデルだったはずの画面の割れたスマホがそこにはある。なんと無く充電をして中身を見ようと思い立った。何かが思い出せる気がして、左手は自ずとペンダントに触れている。

グラデが映し出す時刻は19:36。配信まではあと20分強と言ったところ。彼女はもう入っているだろう。帰宅時間も移動時間も化粧なども必要ないとはIT様々だ。何の気なしに開いたニュースメールは宇宙ゴミ回収作業の取り敢えずの成功を讃えていた。

企業が虹色のエンブレムをアピールし出したのは私が中学の頃からだったろう。持続可能な開発目標を国際的に掲げ、野外ライブ会場を活動の場にしていた有名アーティスト達も電飾や火薬の使用を自粛し、現実では真似できない派手な演出ができるとあってこぞって仮想空間に流れ込んだ。独創的で実物と見紛うほどのそのクオリティは技術の発展が成せる技だろう。実物の会場ってのも気になるが動画配信サイトでしか見たことがない。淘汰されてもう久しい。私の意識やら生活やらを変えたところで微塵も影響などない世界の移ろい。勝手に世界は変わって行く。

仮想空間でのライブ会場は、ほぼ無限に収容でき席順などある訳がなく、アピアランスはユーザー差がない。料金も一律、故に平等。収容に限りがないのだから前世代よりもチケットは割安ともすれば、人気アーティストのチケットは飛ぶように売れる。なるほど民主主義、人気主義の致すところだなとつくづく思う。

知識の開示で正しい知識を簡単に取得できる世の中になり、それが本物であるかの目利きがこの開かれた世界では個人にとって新たな必須スキルであるが、本物は得てしてインフルエンサーとなり、それを中心としてコミュニティが作られた。産業革命以降、領土と市場を欲しては地に満ちる為に広く遠くへと目指した人類も新たな大地をこの無限の仮想世界か宇宙移民の二つに可能性を見出したのだろう。

この半年、Uzumeも徐々に人気が出始めてきた。衣装は曲調により様々だがその瞳の中心は白く凛々しい様相のキャラデザは、デジタルあってのものだと思う。私は入場コードを打ち込むとグラデにはライブ会場が映し出された。参加者一覧に参照かけるとリカのアイコンを見つけた。

「やっと来た。」

彼女とのリンクは良好なようで何より、音声のラグもハウることもなく機器の不具合はなさそうだ。彼女はやはりアバターの服装を新調している。レトロ調に仕上げたブラウンのワンピースとワインレッドのキャプリーヌは清楚な感じで男ウケも良いだろう。

「大正ロマンって感じだね。」

そんな感想を伝える。まぁ私へのお示しはシミュレーションであって、概ね彼氏に見せるのが本チャンかはたまた今夜のイベント後のためなのか、取り敢えず反応は実に明るい。

「そっちはいつも変わらないね。プレセットも何種類かあるんだから、色くらい変えたらいいのに。設定教えようか?」

「いっつもそれ言うよね。ネットに潜ればやり方なんてわかるし、個人アカなんてデフォでいいよ。仕事では別アカ使ってるし。」

写メで自動生成されたデフォルトのアバター。いつも通りの装いと他意もなく他愛もない日常会話。今日もいつも通りASM(自動観客)の設定をオンにする。さしずめロープレのNPCのようなこのシステムは、ランダムに入場者と紐付けされ、一人で楽しみたい者も大人数で盛り上がりたい者も双方の需要を満足させ、相互フォローできる仕様は新な人間関係の構築にも一役買っている。

Chunk 3 きっかけ

楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、配信は2時間におよんだ。最後の演出は私の好きなエフェクトだ。Uzumeの周りも会場全体も瞬く星が散りばめられる。そのランダムな輝きは一瞬たりとも同じ表情を見せたりはしない。私たちもオンライン上にUzumeファンの友達が幾人かいる。リカはその仲間等と何やらやり取りをしているみたいで、この後の計画を聞いてきた。

「リアる?バーチャる?」

この流れはもちろん予想していた。どうやら夕食の準備が終わり次第、仮想空間のUzume公式の溜まり場で再集合するようだ。自身は部屋で飲食しながら仮想空間で集まるといったところか。

「ごめんね、明日の授業の準備があるんだ……」

などと体良く断り、みんなと同時にログアウトした。裏面に『Geminids1214』と印字されたペンダントを左手で触れながらスマホを確認する。幾叉にも割れた画面には62%の文字。充電はできているようだった。暗証番号を高速で思い出そうとするが先に顔認証で立ち上がった。そんな仕様だったなぁなんて、右の人差し指で当時のSNSアプリをタップした。ディスプレイの亀裂から一瞬放電の火花が飛び散る。

「あちっ」

熱さが伝わるほど長くはないのについ発してしまった。保護フィルムなんてしてなかったかと自身のガサツさが変わっていないことに驚愕しつつ画面に視線を落とす。ノイズが入りながらもアプリは起動した。SIMも入ってないこの端末ではもう中身は初期化されているかもしれないと一抹の不安はあったものの、予想に反してその廃アカは立ち上がった。

1番上はリカ

「結局答えは貰えなかったけどね。」7/24。

2番目はお母さん

「買い物してきてもらえる?」 7/21。

スクロールする指が止まる。

8番目はケント 3/14。

8番目はやはりあの人だった。この頃は2022年、懐かしさに目を細める。相変わらず若干のノイズが掛かったままだが気にせず彼とのやり取りを確認する。通話記号と2:13の文字。その下には彼からの最後の受信メッセージ。

「元気でな。」

これが最後の彼の言葉だった。

「行かないで。」

キーパッド上の私の言葉は送信ボタンが押されず、今日までずっと時を超えていた。日々の想いが綴られていた公開設定オフのタイムラインには、空白の投稿が一箇所あり文が打ち込めるようだ。あの日あの電話。何を話したんだっけ。

ーーけど客観的な形に残してた方が事実ってわかりやすいよねーー

生徒の言葉が脳裏をよぎる。うろ覚えの内容だろうとこの断片がこれ以上に砕けぬよう、書き込むべきだと思った。確証などないただの記憶をつらつらと入力する。

"彼の夢を応援した。ホントは行って欲しくなかったくせにそれは私のわがままだと知っているから止めることさえできなかった。ペンダントを返してもらった。その後リカにメッセージを送った。"

グラデに映る、数分前の受信通知にも気づかないほど没頭していた。

「今日は楽しかった。チケットもありがとね。」

リカからの連絡が映し出された。

Chunk 4 事象と事実と

週も明けて6/12、たまの休日。およそ半年ぶりになるだろうか、リアルでリカとお茶していた。コーヒーに入れたガムシロップを、もう慣れた舌触りの悪い紙製のストローで円を描きながら溶かした。

「結局プラスチックと紙とでどちらがエコなんだろうね。」

製造から再利用まで総じて考慮しなければならないとあって、未だ解決に至らずじまいだ。同じ効果をもたらす現象とはとどのつまり両辺が拮抗する保存則で成り立っているのかもしれない。

2025年の宇宙ゴミ解決目標や化石燃料の国際的な使用制限も相まって、観光業もだいぶと在り方を変えてきた。グラデさえあれば、かつての観光地どころか海中遊泳だろうが、はたまたどんな時代設定だろうが有料コンテンツ次第でいくらでも設定旅行できる。今は失われたあの建造物も遺跡も世界遺産もデジタルの力で目の前に蘇る。

私の質問など興味なさそうに彼女は今週末の彼氏とのバーチャル旅行について相談してくる。アバターと違わぬその見た目は実仮共同で販売展開するアパレルブランドのものだろう。

「"課金する"って誤用らしいよ。」

なんてリカはいつもの調子で話しをすり替える。私たちが学業に勤しんでいた頃から一般的に使われ始めていた、今更違和感なんてない言葉だ。広告バリバリの仮想空間は、料金を払えばーーいわゆる課金すればーー広告が外れ純粋な旅行を楽しめる。旅行代理店の営業形態は新プランの仮想旅行をリリースすることにシフトしていた。乗り物を使わずに世界を回れるなどいい時代だ。

「いいとこ、どこか知らない?」

トライアル版で軽く潜ることを薦めると、せっかく正規ツアーを申し込むから初見がいいと私の意見を突っぱねた。試しに今まで行ったところを聞いてみると、なるほどめぼしい場所は既に旅行済みだった。そして最後に小さく言った。

「……それとプラネトラベル」

造語Planetravel、いわゆるプラネタリウムの旅行版。小さく言った彼女の気遣いはありがたく、無下にしてはいけない様に感じた。そしてふと思い出したかの様に努めて明るく聞いてみた。

「あの日さ、私連絡したじゃない?」

もちろん、あの日がどの日のことを言っているのか始めは眉を顰められたが、"宇宙"・"連絡" そして話の流れで理解できたのか表情が晴れる。私がもう気にしていないと思ったのかもしれない。いつものトーンで切り返してきた。

「そうそう。身の振り方が決まったーとか言って、電話してきたよね。」

あれ、電話で伝えたっけ?徐にカバンからスマホを取り出すと彼女とのやりとりを見返す。思慮が浅かったか、ケントとの連絡加えてタイムライン以外は目を通していなかった。懐かしー! と声を上げる彼女と件のやり取りを確認してみる。リカとのスレッド、3/14の内容は通話記号、下に1:02:41。長電話だな。言ったでしょ? と得意げな彼女をよそにタイムラインを開いてみた。

"彼の夢を応援した。ホントは行って欲しくなかったくせにそれは私のわがままだと知っているから止めることさえできなかった。ペンダントを返してもらった。"

先週私が打ち込んだ文章に間違いはない。ただ最後の一文が消されている。まるで初めからなかったかのように。どうかした? と言う彼女に何でもないよと言いつつ、頭の中の整理は追いつかない。記憶を呼び起こす。この頃はお互い中2でリカとは毎日顔を合わす程の付き合いで、気が置けない友人で、私の1番の理解者で。そんな彼女を泣かしてしまった日だ。

2022/03/14。私はケントに呼び出された。当時彼は大学4回生。最後になるかもしれないと言われたのを覚えている。翌日からのアウストラス社での業務、来る日のため最終調整に勉めるとのことだった。この国にいてこの日に別れを告げられるとは、なんて惨めなものだろう。

「そしてケントは私が去年の誕生日に渡したペンダントを突き返してきた。そのあとリカに連絡したんだよね。」

そう話すと彼女は合点がいかない様子だ。

「確かにあのペンダントは渡されたようだけど、突き返されたわけじゃなくバレンタインのお返しだったはずだよ。」

曰く私は終始、彼と会えなくなった事、自分の進退については話したもののペンダントについては伝えたわけではないらしい。そして聞くに耐えず、良心の呵責から彼が旅立つことを知っていたことを告げたと。私は知っていたならどうして早くに教えてくれなかったか問い詰めた。それがあの長電話に繋がって行くわけだ。

「だってそのペンダントが答えじゃん。」

この言葉は覚えている。彼女があの時どうすれば良かったか分からず、泣きじゃくりながら発した言葉。彼がアウストラス社にエンジニアとして入社したことを知らされた。宇宙工学科出でエンジニアとして業務経験もあるとあって重宝されていた。どうやら以前から面識があった様子だ。

「アウストラス社って宇宙移民計画に名乗りを挙げたあの会社?」

そう聞き返えした私に、「当たり前じゃん」と視線を落としながら言ってきたな。万人が知っているその企業は同時に国内屈指のSNSをリリースし、その後進は今でも仮想空間『スーニ』の運用をしている。去年その会社に向かえたのも、ケントの厚意のおかげだった。電話の後、スマホを壁に投げつけたっけ。

私の性格からすると自分で買うわけもなく、貰い物だとひと目で分かった。それを未だに身に着けているとあっては私の未練は言わずもがなだと。カップの中で揺れる液面にそんな当時を思い描く。さすがと言うべきか、彼女は私の機嫌が悪くなると察して、それ以上断定的な言葉を並べず旅行の話へと逸らす。結局ヨーロッパ(仮想)旅行で落ち着いた。

Chunk 5 未だ知らず

彼女と別れ帰路に着くと河川敷の対岸には一際高いビルの看板に、新設された仮想旅行の広告が見える。惰性でその後のことも蘇ってくる。そのあと何があっただろう。宣告通りそれからケントとは会えなくて、怖くて連絡も取れなかった。そして来る2022/07/07、テレビに彼を乗せたシャトルの打ち上げが映る。スマホを握る手に力はもう入らなかった。この日って年に一度願いが叶う日じゃなかったっけ?

家に着くとふと彼女の最後の言葉が気になった。

「でも、その話をしたのは3月だったっけ。」

確かに私の性格からして、熱も冷めやらぬうちに連絡したとは考えにくい。ではいつその話をしたのか。いても立ってもいられなくなりスマホを取り出す。アプリをタッチするなり「パチっ」再び火花が散った。一瞬たじろいだが、もちろん熱さは感じない。スクロールすると現れた空白の投稿、日付は2022/02/14。何を打ち込めばいいのか。

2022年元旦は隣に住んでいる事もあって、初詣に誘った。小さい頃から仲良しで、直接玄関に向かった。

「明けましておめでとうございます。」

玄関を開けてくれたおばさんに新年の挨拶をすると、ちょっと待っててと呼びに行ってくれた。

「あけおめー」

階段を降りてくると中に入るよう促してくれたリカは、何やらニヤケ顔で「兄さんならいないよ」と言ってきた。どうやらこの頃から既に忙しかったようだ。大学生ともなると学業に付き合いに大変そうだと思っていた。おじさんへも丁寧にご挨拶をして階段を上がる。彼女は悪ふざけっぽく聞いてくる。

「チャンスはあったのに結局去年はダメだったね?次のチャンスはバレンタインだね。」

私はそんな言葉を無視して早く出ようとせっついた。外の風はもう一枚羽織るのに十分な寒さをはらんでいた。

今思うとがっかりしていた自分を、押し殺していたのだろう。あの頃から憧れがあったのかも知れない。

「温かいし、あの展望台に連れて行ってよ。」

02/14、珍しく家にいたケントに車を出してもらい展望台の駐車場にたどり着いた。ドアを開け外に出る時バックを落としてしまい、乾いた音に嫌な予感しかしなかった。

「大丈夫。多分……」

私はそう言って、心配する彼と歩みを進める。森の中をうねる展望台へと続く遊歩道は、木々で覆われ等間隔にウッド調のベンチとテーブルを置いた休息所がある。少し休もうと提案しテーブルに荷物を置いて腰掛ける。四月には私も受験生、ケントは進路は決まったのか聞いてきた。

「まだ何も。」

したいことがある訳でも、お金が欲しい訳でもない。恋愛なんて機会がなければそれでいい。やりたいことを見つけるには教育課程では短すぎる。歴史上の偉人が「ただ人よりも長く一つのことと付き合っていただけだ。」とその非凡さを謙遜していたが、そのやりたいことが見つからない人はどうしたらいいのだろう。既にそれを見つけたこと自体が天才と言えるんじゃないか、そんなことを考えていた。

「理系の学科には進むと思う。」

そんなセリフを返すと、席を立ち二人でまた展望台を目指した。夕方ともあってチラホラ人も増え始め、期を伺って細長い赤い包装をされた箱を手渡した。先ほど落としてしまった衝撃で崩れていやしないか心配していたがそれも杞憂だったようだ。

「お返しはペンダントにしてね。」

私の好きなブランドを催促し、少し困ったような顔の彼は思いのほか贈り物を喜んでくれた。返りの車中、例のリカの件でのお礼を言われ、困ったことがあれば何か助けになるとダイキさんの連絡先を教えてもらえた。

そんなことを思い返し当時のことをデタラメも交えて、願望めいた内容を書き連ねる。どうせ中身を誰に見せる訳でもない。それが事実であろうがなかろうが、彼がもういないと言うことは変わらないのだから。

"緊張はしたけれど、チョコレートを渡すことはできた。思いを伝えることが出来て本当によかった。ケントの答えは嬉しかった。気を遣ってくれたリカに感謝した。"

Chunk 6 波及、遠ざかるほど淡く

思い出の答え合わせに彼女を誘った。部屋の中に通すとコーヒーを一口啜り、私の目を見て問いかける。

「何が聞きたいの?」

さすがは長い付き合いだ。三週間とはいえど、こんなに短い期間で再び呼び出されるなど何かあるに違いない、半年も会わずにいるような私には珍しいことだと言われた。

「まぁ、あの時は私も驚いたよ。あんたにあんな度胸があったなんて。甘いお菓子食べるなんて兄さんには珍しかったな。」

どう言うことだろう。私の記憶と違いがある様に感じられる。元々ケントが甘いものを食べないのは、お隣なのだから幼い頃から知っている。そんな私がチョコなんて渡すはずもなく、そんなデタラメを書き込んだのはバレンタインならチョコを渡したかっただけだ。一般的な経験をしたかっただけだ。

「そのついでに、告ったんでしょ? 答えは貰えなかったみたいだけど。」

そんな記憶などない。しかしリカの現実は私の意志に、いや後悔に似たあの文章に修正されている。何にしても世界はそちらに傾いている。「思いを伝える」という文も、進路の話だったはず。私にとって都合のいいように改変されている。

「あんたのために、家にいる様に釘刺したんじゃない。」

あの日、彼女は家にいて二人で行くように勧めてくれたと認識していたが、どうやらリカは初めから外出していたらしい。元来人の記憶など曖昧だと言うことは様々な実験で立証されている。今の私もそう言うことか。

リカが帰宅してからも何とも腑に落ちないこの感覚に、思考を巡らす。細かいことは元々気にしない私の、ただの勘違いなのだろうか。つまり私は2月にチョコを渡して告白し、3月にプレゼントを貰ったが7月に永遠の別れを経験したという事。それもまた事実であれば仕方がない。その手は自然とアプリを起動する。

"緊張はしたけれど、チョコレートを渡すことはできた。思いを伝えることが出来て本当によかった。気を遣ってくれたリカに感謝した。"

今度は「ケントの答えは嬉しかった」という文が消えている。その願望は叶えてくれないのか。いや現象とは同じ条件下では、無慈悲に平等に同様の結果をもたらしてくれるはず。乗り物も薬も料理も同じ科学変化が成り立たなければ信用して利用できないのだから。そうすると消える文章と消えないそれとでは明確な違いがあるはずだ。

・消えた文章から分かる事
 ケントは答えてくれなかった事
 リカへの連絡はメッセージではなく電話だったこと。

消えていない文章はさらに、改変されたものとされないものの二つに分かれる。

・改変されたこと
 2/14、私が伝えた思いは進路のことだったが告白へと、箱の中身はチョコレートへと。
 3/14、ペンダントは返された。しかし私が贈ったペンダントではなく彼からの贈り物。

じゃああのペンダントはいつ贈ったんだっけ。

アウストラス社がローンチしたSNS兼仮想空間のアプリは物質社会に一石を投じ、教育の現場でも登校拒否だが勉強したい生徒や教師選定に一役買っていた。物理的距離に依存しない特性上どの地域にいても平等で、進学率や親切度といった様々な要因で人気が異なり、また人気があれど生徒の多いクラスは各個人に向き合えない。義務教育の民営化は経済の神の見えざる手によって劣悪な環境を淘汰し、思想や能力に起因する物の捉え方の平均化は絶妙なバランスで成り立っている。

「私の時も有ったら良かったのに。」

ぽつり呟き、来週の期末試験の作成に頭を悩ませる。最近ではこのスマホを眺めるのが日課になりつつある。アプリを押すことの女々しさも大分と麻痺し始めていた。どこまでいっても私の成果は普通でそれは今に始まった事ではない。

バチっ

Chunk 7 有れど見えぬは私の心か双子座流星

小学校の時の私は、特に特筆すべきこともない平凡な生徒だったように思う。中学生ともなると皆コミュニティの中でのルールに従い、そこからあぶれてしまえば学校生活など詰みだと思う程度には、社会の縮図の中で青春を謳歌していた。人間関係の損得や立場など計算高く行動し、まるでそこにしか世界がないかのような、大人で子供な立ち振る舞いだ。私といえば興味がないのか勘が鈍いのかそう言った暗黙の了解など理解できずに、いや認識すらもできずにいた。

「おはよっ」

声をかけても反応は暗い。いくら勘が鈍くともリカの感情の変化くらいすぐに解る。長い付き合いなのだ。どうしたのか聞くも何でもないの一点張りでしつこく聞いても喧嘩になると、それ以上は聞かなかった。10月のとある日、私はこの日を境に学校に行くことがなくなった。

「うーん、知らない。」

幼い頃からピアノを習い、当然のように吹奏楽部に入っていた。この日の放課後、カバンも教室もあちこち探したが私の楽譜が見つからない。部員に聞いてもそっけない態度。過去にも何度か失くしたことはあったものの、どうやらそれらは嫌がらせだったようだ。私ときたら気にも留めていなかったな。何たって、楽譜なんて無料ダウンロードできる世の中だ。私の不注意だろうと思うのが当たり前じゃないかな。

「ありがと。じゃあいいや。」

しかし、この日はゴミ箱に入った私の楽譜を見てしまった。そういうことかと納得し帰路に就いた。音楽もパソコンさえあれば作れるし、音楽教室に行けば奏でられる。帰りしなバレーコートのリカと目があったが、こちらから視線を逸らした。

「私のために学校来ないんだよね。」

殺風景な私の部屋に彼女の声が響く。テレビ番組はドッキリ企画をしていて、モザイクのかかった一般人が仕掛け人に声をかけられていた。

「関係ないよ。行きたくないだけ。」

そう答えながらPCで作曲を続けていた。そのモザイクの一般人も初めは怪訝な顔をしていたと思いきや、悪人役が仕掛け人をなじると、状況を判断したのか途端に弱者の味方をする。やはり人とは全体像を見定めないと状況を判断できないと言うことだ。テロップには「困ってる人を助けられるか?」、初めは怪訝な顔をしていたというのに、偽善に似た編集だ。

「私なんか守らなきゃ、こんなことにならなかったのに。」

数週間前バレー部の前を通りかかった時、リカへの嫌がらせを目撃し止めに入ったのが原因だそうで、それからローテーションが私に移ったそうだ。確固たる意見の違いで起こるわけでもない、ただの娯楽に近いんだろう。聞かなきゃどれも覚えていないものばかり。ある年ある地域で偶然育った同い年が、同じ箱の中で集団生活するわけだ。そんなこともあるだろう。私にはどうでも良かった。

「明日から来てよね。」

彼女はそう言い残して部屋を出た。私がしたいことは家でもでき、学校に行くメリットは別に感じない。メリットがある人の意見を否定するつもりもない。現にそんなメンドくさいことさえ無ければ、登校していたのだから。現在私が登壇しているのも、そうした子達の受け皿となる為でもある。

2021/12、音楽教室から帰っているとケントに呼び止められた。その時驚いて落とした、当時は最新機種のスマホに、一本のヒビが走る。小高い山の展望台へと誘われて帰宅後に連れて行かれた。どうやらことの顛末を母やリカから聞いている様子ではあったが、直接そのことに触れることもなかった。

「膿は出したほうが良いな。逃げ得の世の中だから。」

昨今の社会情勢は過去の隠蔽癖から魔女狩りが盛んだ。全て明るみにする為に逃げる事への罪は、自白した時よりも重罪にすべきだと彼は言う。子供の私には難しすぎてよく分からなかった。どうにも口を破らない私に業を煮やした彼は本題に入った。

「お前が仲良くすると、その周りに迷惑がかかると思ったんだろ。」

さすが、リカもケントも私のことを理解している。彼が指差した空を見上げれば夕暮れ時。

「ホントは数えきれないほど見えるはずなんだけどな。」

2021/12/14 16:00、有れど見えぬは私の心か双子座流星。

Chunk 8 ヒビ割れし絵空

そうだった。ペンダントを渡したのはこの日の帰りの車中。一度帰宅した際に急いで手に取った、彼への贈り物。忙しい彼にいつ会えるか分からなかったから、誕生日とクリスマスを兼ねていた。

事実を残してくれるこのスマホ、書き換えられるのは意識や話した内容。つまりは世界に記された”抽象的”な現象で、記事でも投稿でもすでに世界に記しされてしまった”具体的”な現象は書き換えることができないのか。そうなら記るそう、もう忘れないために。

2021/12/14
”彼が言った最後の言葉を忘れない。私は決意した。宇宙工学を学ぼうと。”

7/7はもう学校に行っていた。正史であれば3/14リカの独白で宇宙工学を目指すこととなるが、実際の私の学歴も宇宙工学科出であるのだから矛盾はないし、消えるわけなどない。しかしその後の事実は残酷であることもまた変わりない。大学受験を控えた2025/2の石油燃料の使用規制、宇宙工学科に通っていた同10月の宇宙ゴミ関連の世界規定は、一時とは言え事実上の宇宙産業の撤退を意味したのだから。

そんな絶望を突きつけられ、願えども叶わないこともあると知った私は数学の教員免許を取得し私のような人間の手助けができればと講師になった。去年11月何か私の想いを表現できないかと、プログラムに強いことを思い出しアウストラス社のダイキさんに連絡した。

「やっと来て頂けました。」

ダイキさんのオフィスはとても綺麗でオンライン上でも良かったのにわざわざ招いて下さった。しかし目の前の方はダイキさんではないらしい。彼曰くケントは『スーニ』のβ版までの手伝いをしていたそうで、その能力を買われダイキさん直属の宇宙開発部門のエンジニアとして移転したそうだ。

「ログインしてもらえますか?」

そう言われログイン、見せられた入室コードを打ち込む。するとそこにはアウストラス社の会議室が映し出され、再度アバターで顔を合わせる。仮想空間の中で手渡されたのはとあるデータだった。

「ご連絡あり次第渡すように、ダイキさんとケントさんから伺っています。解凍コードはそのペンダントに書かれているようですよ。」

そうだよね、これが突き返された物であればこの印字があるはずはない。やはり彼からの贈り物だ。何かのシリアルナンバーだと思っていたこの英数の羅列は、日を追うごとに日常と化し、すっかり疑問にも抱かなくなっていた。

家に帰りフォルダ内のZIPファイルの解凍に『Geminids1214』の文字を打ち込むと、そのファイルは『スーニ』の利用可能なストレージとアドレス、そして瞳の中心が白く凛々しい様相のアバターが内封されていた。これで何かできないかと思い昔の楽面を引っ張り出し、12月末からUzumeという仮想アーティストとしてデビューさせた。

移民計画を成し遂げてもう10年、そしてデビューしてから8ヶ月。明日7/7に新曲をリリースする。私はいつかの番組の再放送を流しながら、リカにはもちろんチケットコードをプレゼントした。

「またくれるの? ありがとう!」

そう言って私のアバターに似合う服を用意すると意気込んでいた。その日はいつもと違うアカウントで入る事を伝えた。思考の追いつかない彼女にUzumeが私である事を伝える。驚いてはいたものの問い詰めてこないのはその想いも一緒に伝えたからだろう。

番組を見ながらの返信はやはり誤字脱字が多くなるので、間違えがないように目線は動画とメッセージを行き来している。内容も朧にしか楽しめていない番組はそうこうしている内に、もう終盤を迎えていた。

白いテーブルに焦茶色の曲線。私は文面を打ち直し送信ボタンを押す。

新曲のバラードがアウトロに入ると、普段はROM専の私もこの日は何か書き込みに参加したくなり、コメ欄ではまさかの本人登場に視聴者たちは喜ぶ者、疑う者反応は様々であったが、結果として大いに盛り上がってくれた。私も生配信なんて初めてで緊張した。見慣れないアイコンからのコメントに息を飲む。

「降る星よりも瞬く方が俺は好きだよ。」

あの展望台で聞いた最後の言葉。忘れるはずもない。考えるよりも先にそのアイコンをタップしていた。

それからあの展望台でそのアイコンの男性を待つ。どんな顔をしたらいいだろうか、遠くの看板を見つめる。後ろから聞こえてきたのは、間違いなくケントの声だ。

「同い年になっちゃったな。」

経過する時間の長さは万人に同様であるが、観測者から見ると各々の長さが異なって見える。このスマホは彼と私の観測者。二人の時間は相対性で成り立ち、お互い26歳になっていた。頬を伝う一筋の涙。嬉しいのか、寂しかったのかそれ以外の感情か自分でも分からない。無感情だったかもしれない。彼の胸にはいつか贈ったペンダントが揺れている。

「ただの思い出だとしてもこのスマホは手放せなかった。」

そう言うと当時のスマホを後ろポケットから取り出した。私とのやりとりを見ると絶対帰ると思えたそうだ。

シャトルの航行は順調で、計器に異常もなかったが急に大きな揺れに見舞われた日があったらしい。当時はもちろん、今となってもその揺れの正体はわからないままだそうだ。観測不能の乱流のせいだとされている。

とにかく船内は大きく揺れ、彼はスマホのことを第一に考えて強く握りしめ、そこに見覚えのないメッセージが追加されていたそうだ。彼は言う。

「君はあの日、俺の23歳の誕生日だったあの日、メッセージをくれたんだろう?」

その文章を私が送った時はリカとのやりとりの合間だったはずだが、彼から見ると私が16の時に送ったことになっている。アルタイルとベガは14.4光年離れていて、光の速さで近づいても14年以上かかる。

「10年で再会できるなんて、願いが光の速度を超えたのかもね。」

そう言って笑った。

相変わらず、画面の割れた手放す事のできないこのスマホ。いつでも抜け落ちた箇所を書き込めるよう、この世界の理に倣い客観的な情報を、すなわちこのスマホに3点目をつくり事実として固定する。日々の幸せを固定しよう。当たり前に幸せだと感じられるために。不思議とあれから空白の投稿は現れない。

でもさ、と、他意はないよと前置きしつつ彼は私のテーブル向かいに座った。

「あの時よくメッセージ送ったね。俺の知ってる君は意志の強い娘だから、自分の決断を覆すような事するとは思わなかった。」

もしかしたら関係修復のキッカケは彼が作りたかったのかもしれない。だから宇宙移民計画を完遂する為に持てる力の全て費やしてくれていたのだろう。しかし情報さえも保存則が成り立つならば、私は何を対価にこの現象を、それに費やすエネルギーを消費したのだろう。ブラックホールすらも蒸発、或いはホワイトホールへとエネルギーを発散している訳なのだから、何かを犠牲にしてもおかしくない。そんな不安を消すかのように、私はただ黙って微笑み返した。

“必ず戻ってきて”

番組を見ながらリカとのやり取りついでに打ち込んだ、”行かないで” だったはずのこの言葉。今の私にとって曲げてはならないことは、彼と離れたくないと言う意志の方だ。ならば今の私は、過去の発言や決断の撤回も厭わない。あなたが大事な人だから。

未だノイズ混じりのひび割れたスマホ。原文を見せようとアプリをタップする。

バチっ

不意の火花に手が滑る。

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